「1 問題の所在」 ~「葬儀」の歴史を知ることの目的~

A 『浄土真宗本願寺派葬儀規範集 

 1980年代前半まで、浄土真宗においても、葬送儀礼は各地域で相応の展開をとげ、一様なもではない状況があった。このような状況のもとで、本願寺派では、日常の門徒への宗派の顔ともいえる葬送儀礼が、「所変われば品変わる…」、「郷に入っては郷に従え…」という地方ルールが幅を利かせている事態への改革に着手した。

  編纂の過程については公表されたわけではないから類推するしかないが、なんとか「葬場勤行」の規範を、1986年初版の『浄土真宗本願寺派葬儀規範集』(以下『規範集』86年版と略称)、出版にこぎ着けた。その後、宗派の規範として依用されるに至っていると判断できる。かくあるべし、といいにくい分野での指針作り、さぞ骨折りであったと類推される。1980年代後半に中世真宗の死の作法を、葬送儀礼から考えようとした際に、ほとんど、読むに堪えるだけの研究論文は皆無であった。

  なんとか「葬場勤行」の規範を、1986年初版の『浄土真宗本願寺派葬儀規範集』(以下『規範集』86年版と略称)、出版にこぎ着けた。その後、宗派の規範として依用されるに至っていると判断できる。(1986年初版 『浄土真宗本願寺派葬儀規範集』)

  従って、いくつかの疑義は覚えつつも、「86年版 葬儀規範集」は、1982年「法式調査研究委員会」(宗門発展計画の一部門)の労作といってよい。往時の委員が、その後において編纂過程を大まかでもよいから明確にしておいてと感じた。

 「86年版 葬儀規範集」は、自らの調査・編集目的を「「生涯聞法に関連する儀式についての調査研究」であるとしている。とすれば、、その後において、宗門から、「初参式」・「入門式」「帰敬式」・「結婚式」・「通夜」・「葬儀」・「中陰」・「年回」…、と展開していくはずであると考えるのはわたくしだけであろうか。「葬儀」に関する規範集のみで終わっているのが現状である。ただし、限界は特色であるから、葬送儀礼に関わる比重の高さがうかがい知れることになる。

 この点を示唆するように、「1986年版 葬儀規範集」の「後記」『規範集』(P153)には、1980年代前半に行われた「法要儀礼の近代化」についての調査・研究の成果を踏まえ編集・出版であることも明記されている。

 以下、4点に現行の『規範集』の意義(特色と限界)としてまとめておこう。

イ 生涯・聞法に関連する儀礼としての「(人生最後の儀式)葬儀」 = 人生の最期に仏縁を深める報謝の仏事 = 葬儀は仏縁を深める人生最後の報謝の仏事という「聞法生涯の仏事としての位置づけ」 ロ 正規の勤式を実践することにより衆目の範とする = 宗派の儀礼としての勤式作法の整備 = 宗派の「勤式作法」の実践 = 生涯聞法の儀式として位置づけ ハ 各地に行われる風習・世俗の習慣・迷信からの脱却 = 宗派の教えと儀礼(勤め)の正しい実践 = 生涯聞法の実践として位置づけ ニ 八代蓮如宗主の葬儀に準拠 = 生涯聞法の儀式という「伝統」の出拠 = 本願寺派「勤式作法」の淵源は蓮如宗主の時代

(以下 続稿 レジュメの改版)

B 『1986年版 規範集』の意義イ 法要・儀礼の現代化 ⇔ 生涯聞法に関連する儀式の策定作業

ロ 帰敬式の改正から始まり、葬儀に着手 ⇔ 宗門発展計画として調査・研究

ハ 編集・発行が宗門(法式調査委員会・勤式指導所・本願寺出版社) ⇔ 宗派としての編集・発行(儀礼・作法の「仕様策定」として重要

 

C 「考える視点」

 2 「法要の現代化」といった場合における「現代」という背景の内実は?

 

宗派性と関連が薄い社会事情(社会現象) ⇒ 1990年以降、「葬送儀礼・墓制」に関わる研究成果が民俗学社会学歴史学分野で多数存在し、背景分析が可能になってきている。

  •  「葬儀」が行われるインフラの変化(法規・交通・設備・埋葬方法…) ※ 社葬・団体葬友人葬家族葬直葬・お別れ会…、」といった多様化・個性化のなかで

a「葬儀」のモータリゼーション(霊柩車の普及)  ⇒ 機動(牽引車)付の「霊柩車」の発達により「葬列」が消滅 

 b 葬列の消滅、火屋勤行の比重低下・衰微⇒ 参列(会葬)者は会館・自宅での出棺・葬儀までという参列法穂の変化し、「葬場勤行」が中心となってゆく

c 住宅環境の変化 ⇒ 過疎化・都市化に伴う自宅での葬儀の減少 =葬儀会館での通夜・葬儀が一般化

d 「法規」(条例・省庁の通達)による火葬の標準化 ⇒ 土葬、あるいは土葬後の改葬を前提とする「両墓制」の減少

  •  「葬儀」を支えた社会集団の変化、あるいは解体

e 遺族・親族と参列(会葬)者の乖離現象 ⇒ 故人が所属する社会集団(団体)を遺族が周知するわけではない = 社葬・団体葬では遺族は参列(会葬)者と、喪主であっても初初対面が一般化し珍しい光景ではない

    • 密葬・本葬(社葬を代表に)の社会集団葬は、個性を重視する風潮の2傾向 ⇒ 家族葬か社葬、形式(対面)あるいは個性重視か?といった「葬送」論を惹起

f 地域集団の執行主体から個人の所属した社会集団へ ⇒ 企業・団体の「総務」担当者の業務 = 業務である以上は失敗は許されない(勤務としての葬儀)

    •  遺族(喪主)・執行主体(総務担当者)の双方から依頼される「エージェント(代理・代行業)」としての「葬送業者・社」の役割が増大

g 高齢化社会の登場は、死亡時における社会集団より離脱・疎遠となり、すでに地域集団の役割は終焉 ⇒ 親族・地域集団に頼らない葬儀 = 喪主・遺族から依頼を受けた「エージェンシー」として執行主体は「葬儀社」の役割化

h 知らない集団・面識のない個人が参加する儀礼 ⇒ 社会集団中心の葬儀は、不特定・未知の人々の参列が一般化する ⇒ 総務が取り仕切り、エージェント(葬儀社)が執行し、見知らぬ参列者をさばく「会場・司会・進行」役として活躍。(エージェントの範囲は、遺体の搬送・死亡届・関係者への連絡・通夜・葬儀・火葬・初七日・中陰・初盆まで…の葬送に関する一切の世話)

  •  死生観(遺体・遺骨まで含めた)の変動 ← 現代民俗学社会学・実践宗教学研究が提出するデータから

i 死生観の現代化 ⇒ 医学・生命観の変化に対する「既成宗教・仏教教団」の未対応・放置(浄土・極楽・来世・あの世…の喪失状況)j 個性・個人を重視する人間的価値観 ⇒ 既成の儀式・儀礼への価値意識の低下

  • 個性が重視されるなかで、既成宗教の葬儀は個性否定と受け止められる

k 仏教界(伝統宗教界)への無関心 ⇒ お寺・仏教界への無関心=葬儀・お墓の「費用」のみに加重する見方と寺院の「外見」l 格差(差別)助長主義への反感 ⇒ 拝金主義への反感から、お葬式(法戒名)はいらないという「遺言」作成

 

D 以下の諸論の目的

 

 以上の前提を確認したうえで、ここでは、浄土真宗本願寺派の勤式・作法(以下では、儀礼と便宜上に呼ぶ)のなかで「葬儀・中陰・年回」の占める位置は大きい。ところが、大切であると認識しながら、真宗史・本願寺教団史において、葬送儀礼の淵源と沿革を史料を正確に、かつその宗義上の意味づけを考察した研究は少ないのが現状である。さらに、真宗史・本願寺史研究において葬送儀礼に対して関心が及ばない事情の要因に、真宗という宗派が、民間信仰あるいは民俗行事に対して非寛容・改革的な姿勢を持つと前提的に理解されていたため、真宗の葬送儀礼に関する研究は立ち遅れたのが現状である。本講の目的は、浄土真宗本願寺派の法式規範で示される門信徒の葬儀作法(『葬儀規範勤式集』)、現在の葬送儀礼に至る淵源と変遷を分析する。また、分析の対象とする時代と対象は、インド・中国を前史として、本願寺の草創期から、教団の素形が形成されると考えられる中世戦国期における葬送儀礼が中心となる。 

 また、加地伸行『沈黙の宗教』(1994年初版、2011年にちくま学芸文庫)、菊池章太『葬儀と日本人』(2011年 ちくま新書)が刊行され葬儀に関する社会からの注目も高い。また、マスコミでは、「自然葬」・「家族葬」・「直葬」「永代供養墓」から始まり、議論の行方には「無縁社会」などという問題提起もあった。 本講では、簡単に結論が出せるわけもない「葬送儀礼」の今日的課題・在り方についての議論を豊かなものにするために、ささやかながら私が集めた資料と、若干の議論を提示してみたい。

 

※注 現在の葬送儀礼論では、浄土真宗定型外・規格外の葬制・墓制として扱おうとする傾向が強い。(書店などで販売し、葬儀参列にあたり市民が参考にする儀礼・作法集)