「女性と仏教」の方法と視角について  ―吉田一彦氏の書評への所感―(その2)

2「巣ごもり」した事情 1997年に刊行を終了した『講座・蓮如』(平凡社)が、私が同学の人々と研究上の交渉を持った最後であった。また、この時期には世にいう学会はほとんど退会し、また、学会・研究会・セミナーといいたアカデミックな場には2000年頃より…

「女性と仏教」の方法と視角について ―吉田一彦氏の書評への所感―

序 ことの始まり かつて「研究会・女性と仏教」の京都事務局スタッフとして、会への参加の呼びかけを行なったとき、お声掛けをした先輩方から、「女性史の問題は仏教史・真宗史はなじめない。仏教史・真宗史の問題にならいないのでは?」という率直な感想を…

真宗葬送儀礼の成立から展開 ー「天文日記」の「御剃刀」記事ー

証如が大坂本願寺における日次を記した「天文日記」を丁寧に読み進めるると、数少ないが大坂寺内住民の仏事に関する記述が見受けられ興味深い。ここでは、すでに大坂御堂での寺内住民だけでなく地方からの武士門徒・商工業者と推定しうる門徒の年回仏事が確…

真宗葬送儀礼の成立から展開(1) -「実如上人闍維中陰録」を読むー

前置き 蓮如の死の作法については、「蓮如における死の作法」(初出は、1988年、日野昭博士還暦記念会編『歴史と伝承』、『戦国期真宗の歴史像』に収録。1991年)で論議した。今読み直してみると不備で満足を得る論考といい難いので戦国期、「天文日記」・「…

真宗葬送儀礼の淵源と成立 -蓮如期における「素型」の成立ー

蓮如期の葬送儀礼 ―「葬中陰録」の世界― 戦国期・近世教団、多数の葬送・中陰・年回・婚礼・誕生などに関わる「儀礼」を記録している・その中で「葬中陰記」・「往生之記」と呼ばれる葬送・中陰に関する記録が100点以上が確認されている。(首藤善樹「本願寺…

真宗葬送儀礼の淵源と成立 -真宗以前と覚如期の葬送儀礼ー

2015年2月2日の福岡組法式研修会での配布レジュメ(その1) 1 共通の課題意識 ―本年までに確認した事項― A インドにおける「素形」の成立(2013年2月) イ 紀元頃→ 「無常経」=葬儀に際して読経経典の撰述 7C末唐→ 義浄による訳出 則天武后の支援=後…

真宗以前 ー中世貴族社会の死の作法と葬送儀礼

<お断りとお詫び> 臨終・葬送・埋葬 看病・看死・臨終…から、死者の送り儀礼(葬送)…、遺体の埋葬(遺体・骨の行方)…、それぞれの儀礼の日本的展開を前提に真宗以前ということで考察するつもりであった。正直言って、真宗以前は難しい。歴史研究、宗教・…

真宗の死の作法を考える「資料集」(その1)

※ 研修の際に配布した関連資料です。参考程度にしかなりませんがご笑覧ください。(2017年11月16日 記) <法式部研修会 配布資料 関係・参考資料編> (A) 「緒言」・「後記」(『浄土真宗本願寺派葬儀規範集』) ① 緒言 この勤式集は、本宗門のすべての人々にと…

禅からみる真宗の葬送儀礼 ー真宗の死の作法を引導する禅ー

禅からみる真宗の葬送儀礼 -真宗の死の作法を引導する禅- 禅の葬送儀礼の注目すべき先行研究としては、石川力山『禅宗相伝資料の研究(上・下)』(2001年 法蔵館)岡部和雄「『無常経』と『臨終方訣』」(平川彰博士古稀記念会編『仏教思想の諸問題』1984年…

「1 問題の所在」 ~「葬儀」の歴史を知ることの目的~

A 『浄土真宗本願寺派葬儀規範集 1980年代前半まで、浄土真宗においても、葬送儀礼は各地域で相応の展開をとげ、一様なもではない状況があった。このような状況のもとで、本願寺派では、日常の門徒への宗派の顔ともいえる葬送儀礼が、「所変われば品変わる……

福岡組法式部(研修会) 「人類はなぜ埋葬するのか」 -~仏教の中での葬儀の意義 その2~

3 義浄が伝えたインド仏教の葬制 ~「南海寄帰内法傳」と「無常経」の訳出~ A 義浄による『無常経』請来(漢訳)の意義 ㋑ 仏式による葬送儀礼の提案 インド仏教は、「無常経」を中心とする、出家者に対する「葬送儀礼」として誦経用経典を伝承していた。こ…

里山文化論・里山資本主義への疑義 -とくに里山は開発された人造世界であることを踏まえて-

近代以前(江戸時代)に、話たちが生きる列島社会は、里山・里村という村落警官作り上げます。里山は、造林した落葉樹に包まれ、大堤防に護られた小川(用水路)が張り巡らされ、ため池を貯えた田畑・家禽を風景とする人造のムラです。河川改修・堤防建設・…

2013年2月19日(火)福岡組法式部(研修会) 於専立寺 「人類はなぜ埋葬するか」 ~仏教の中での葬儀の意義~ <目 次> 1.「問題の所在」 ~「葬儀」の歴史を知ることの意味~ ( 今回は、改稿の準備のために留保・未発表) 2.「インドにおける仏教独自の…

見真大師」号と「勅額」

見真大師」号と「勅額」 浄土真宗の宗祖である親鸞は、1876(明治9)年11月28日に「見真」の大師号の宣下を太政官より受ける。見真なる大師号は、明治政府へ東西本願寺、専修寺・仏光寺・興正寺・錦織寺の真宗六派の住職が連名し内願し、明治天皇より贈られ…

「地域文化論」ことはじめ 1

「地域文化論」ことはじめ1 久留米工業高等専門学校の四、五年生の一般科目で「地域文化論」という半期(4,5年生=大学1,2年に相当 選択科目)の講義を担当して七年ほど担当しました。その節の準備ノートや配付資料をまとめようと思っています。 途中…

「下剋上」 -日本中世戦国期学習の常識①

「下剋上」 -日本中世戦国期学習の常識①-1 現在の日本史の教科書で使用される「歴史用語」を点検してみると、意外、というよりは面白い由緒を持つ語句が多数存在することに気が付きます。 例えば、誰でも知っている「下剋上(げこくじょう)」は、隋の蕭吉…

「一向一揆」という用語は、誰が始めて使用したか?

「一向一揆」という用語は、誰が始めて使用したか? 金龍静氏の『一向一揆論』(2004年 吉川弘文館 P24)によると、一向一揆という用語は新井白石が最初に使用したらしいとする。 金龍氏は、『紳書』巻3を典拠にあげている。実際に『紳論』巻3に目を通して…

「仏法領」論の黒田俊雄①

「仏法領」論の黒田俊雄①1 必要があって、『黒田俊雄著作集 第4巻 専修念仏と神国思想』(1995年 法蔵館)に収録された「一向一揆の政治理念 ー「仏法領」についてー」(1959年「 初出)を読み直した。過去(1982年)に「いわゆる『仏法領』について」(『龍…

法然の「性差別文言」の評価について①

1990年代、仏教史学会、研究会・日本の女性と仏教に参加した中世仏教史家たちから、次に法然「無量寿経釈」の解釈についての論争がありました。まず、関連する史料から引用します。 「A 次別約女人発願云。設我得仏。其有女人、聞我名字、歓喜信楽発菩提心、…

開設への所感 遠藤 一のブログのはじまり

本日開設、寺院住職、日本史・仏教史研究者(元 久留米工業高等専門学校 准教授)として、日頃に感じたことを記していきます。二〇一一年三月、娘の大学卒業と、息子の大学三年生進級をむかえ、二足の草鞋は、どちらともよくないということから、長徳寺住職へ…