里山文化論・里山資本主義への疑義 -とくに里山は開発された人造世界であることを踏まえて-

 

 

 近代以前(江戸時代)に、話たちが生きる列島社会は、里山・里村という村落警官作り上げます。里山は、造林した落葉樹に包まれ、大堤防に護られた小川(用水路)が張り巡らされ、ため池を貯えた田畑・家禽を風景とする人造のムラです。河川改修・堤防建設・灌漑工事で整えられた人造世界にムラ・マチが建設されたわけです。

 私たちは、現在の村落景観が、耕地の開発による人造世界であることを、どの程度自覚しているであろうか。河川の改修・堤防は耕地を開墾し、そこには、ため池や耕地へは農業・生活用水を確保するために、細微にわたり灌漑用水が張り巡らされた。耕地は同時に人々の移住につながりムラが形成されたわけです。ムラの周囲には、薪炭腐葉土をつくるための雑木林(人工林)が造成され、「里山」・「里村」と呼ばれる村落景観、一種の人造的な生態系が成立しました。近世後期には、里山・里村は、列島社会のごく普通に見られる村落景観となった

つまり、よく知られている「春の小川はさらさラ…」は、1912年の文部省唱歌として発表された「春の小川」はそのような里山を愛でた唱歌であったといえます。の唱歌で流れる小川は、農業用水路であるから人造施設なわけです。耕作地が自然に形成されるはずはなく、人の手が加わり、長い年月をかけて開発された「里村」は、耕作地の潅漑施設である。その人造世界に作られたのが里山・里村世界であり、ムラという総合生産施設であったわけです。里山建設に当たっては、河川の流れ、灌漑用水・ため池を造り、薪炭腐葉土生産の雑木林、田畑というムラ開発で成り立ちます。

 話を本題に急ぐと、自然に手を加え人造社会には、必然的に開発に伴う環境破壊が伏在しました。一部の里村では、感染症の原因となる寄生生物を育てる温床も増幅されました。現在の日本国内では、感染症の原因となる寄生生物の対策も取られ、風土病・地方病といわれた感染症の根絶が近づいたという声もあります。

(以下、続稿)

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