「仏法領」論の黒田俊雄①

「仏法領」論の黒田俊雄①1

 必要があって、『黒田俊雄著作集 第4巻 専修念仏と神国思想』(1995年 法蔵館)に収録された「一向一揆の政治理念 ー「仏法領」についてー」(1959年「 初出)を読み直した。過去(1982年)に「いわゆる『仏法領』について」(『龍谷史壇』81・82合併号)で批判したことがあり、「仏法領の意味と解釈」に改題して『戦国期真宗の歴史像』(1992年 永田文昌堂)の1章として上梓した。ただし、「一向一揆の政治理念」は、1975年の『日本中世の国家と宗教』(岩波書店)に収録される際につけられた題名である。

  以降、黒田氏が説くような意味での仏法領の解釈に立って論議を展開する一向一揆真宗史研究者は少なくなった。黒田氏自身が、私の批判をどのように受け止めたかは、黒田氏逝去により明らかではないが、論文の抜刷をお送りした翌年に「寒中見舞」、翌年「民衆史における鎮魂」(『部落問題研究』№を失念)のコピーの恵与に与ったので、読んでくださったのだとは思われる。

その後、1983年7月下旬に黒田氏とは一度だけ、東大寺の法要見学の後、近鉄特急で隣席に座らせていただき、正直に朴訥な書き方による「仏法領」批判をお詫びしながら、率直な感想を求めたが、黒田氏は、中世仏教・顕密体制の展開の中で一向一揆蓮如真宗を評価すべきであると、あまり取り合ってはもらえなかった。むしろ、指導教授であった二葉憲香先生が京都女子学園園長に就任されるので、指導教授はどうなるのか、といった龍谷大学での私の修士論文の執筆のことを心配してくださったりした。ただし、はぐらかされたというよりは、山の裾野の踏査に拘ることへの否定的言であるとは感じたことだった。

 事実、黒田氏は1984年に「転換期の指導者」を執筆され、改めて「仏法領」を論じられた。(『南御堂』1984年4,5月号、後に『蓮如真宗大谷派難波別院 1986年)やはり、自論としての「仏法領」論の繰り返しであったが、大谷派門徒さんが対象の小論であるためか、以前に比較するとトーン・ダウンしたように読めた。私には、「仏法領」説批判への、否定的回答であるとも読めた。

  黒田氏の逝去後に刊行された著作集には、上記の2点の論考のほかに、「仏法領」に関する黒田氏の知見が収められたが、そのなかで私の興味を引いたのが、「真宗教団史序考」という、1948年に黒田氏が京都大学文学部に提出した卒業論文である。内容の検討は別機とするが、正直にいって、私の批判は、黒田氏は「真宗教団史への先祖帰り」のように読んだのではなかろうか、という感想を持った。著作集で公刊されて読むことが可能になったこの論文を、拙稿の執筆前に読んでいたら、かなり書き方が変化しているように思えた。(続く)